※本記事は非常にひねくれた解釈をしていますので閲覧にはご注意ください。
※本記事の読了目安時間は15分前後(約9000文字)です。
こんにちは、まゆげと申します。
2/20にGamer 近藤Pインタビューの後編が公開されましたのでレビューしたいと思います。
前編のレビューはこちら。
それではいってみましょう。
- リィンの女性問題はリィンの半生を表現したかった?
- 近藤Pはノーマルエンドを挟んだ理由をよくわかっていない
- キャラクターを生き返らせたのはなんとなく
- オズボーンとオリヴァルトを対比させた描写は成功
- イシュメルガ=呪いではない
- 次回作も一つの国が舞台となりそう
- 軌跡最新作は3作検討中?
- 今後は自己満足ではなくクオリティアップさせる
- 最後に
リィンの女性問題はリィンの半生を表現したかった?
――(前略)リィンはどれだけ女性にモテるのかなと(笑)。「閃の軌跡IV」は特にその印象が強かったのですが、恋愛感情を意識させるような絆イベントや、エンディング前に意中のキャラクターを選択することなどは当初から考えられていたのですか?
近藤氏:それは最初から決まっていましたね。(中略)「閃の軌跡」シリーズはリィンの半生を描こうというところからスタートを切っていて、リィンの行き着く先を体験してもらうゲームにしたいという思いがありました。(中略)そして実際にやってみて、やりすぎたなと思ったのが過去三作の積み重ねで選択肢が増えてしまったことですね。(中略)その中でもリィンがパートナーを得る過程は一本に絞るのか、多様性をみせるのかは難しいところでしたが、最終的には「閃の軌跡」はリィンの人生の軌跡を描いていくものだから、ということで選択するかたちに落ち着きました。おそらくどちらが正解とかはないと思うんですけど。
前編ではユーザーの疑問を的確に拾い上げてくれたインタビュアーさん。後編での活躍に期待をしていた人も多いでしょう。そしてそんな我々の声に呼応したかのようなこの質問、頼もしいです。
というわけで最初のテーマは絆システムとリィンモテすぎ問題についてです。
『当初から決まっていた?』とわざわざ時期を訊ねているのは、『Ⅰから決まっていたことではないよね?Ⅳからはなぜ不自然な恋愛描写が増えたの?』というのが真意にあるためだと思います。
その質問の答えには、『最初から』と答えています。これは閃Ⅰを指すのでしょう。じゃあⅡの絆イベントは何だったんだ、その選択がⅢとⅣに受け継がれていないのは何なんだ、ってなりますが、もちろん言及はありません。
そして何と閃の軌跡はリィンの半生を描くという目的があったことが明かされています。思えば『英雄伝説 閃の軌跡』ですもんね。主人公の半生を描く、当然の目的でしょう。
リィンの半生をどのように描くか。
よし、プレイヤーにリィンのパートナーを選ばせよう!
意味がわかりません。リィンの半生を描くことの手段がなぜパートナーを選ばせることになるのでしょうか。その理屈で言えばエステルとヨシュアの半生は描かれていないことになります。
理屈はわかりませんが取りあえず手段としてパートナー選択制をチョイスしたとのこと、と思いきやパートナーを固定するのか選ばせるのか葛藤があったとも言っています。軸がブレブレであることがよくわかります。
また、『正解はない』とは言っていますが、少なくとも、追体験型のゲーム(キャラに明確な人格や思想がある)でプレイヤーに選択肢を与えるのは得策ではなかったと思います。そういったことは、やはりドラクエやペルソナのような自己投影型のゲームで行うのがセオリーでしょう。
パートナー候補については「やりすぎた」と言っています。これはどういうことでしょう。文脈から考えると、『ユーザーの意見を反映させ、設定をある程度無視して女性キャラを意図的にリィンのパートナー候補に仕立て上げたが多くなりすぎた』ということではないでしょうか。当然ユーザーはわかっていたことですが、改めて言われるとショックですね。しかしやりすぎたという言動はいかがなものか。キャラクターの意思を操っているのにも関わらずまるで他人事、愛情を感じません。
また、モテすぎと言われたのだから、リィンの魅力について一言でも触れてほしかったです。
近藤Pはノーマルエンドを挟んだ理由をよくわかっていない
――エンディングの流れに関しても、一度ノーマルエンドを挟む形式にしたのには意図はあるのでしょうか?
近藤氏:トゥルーエンドにいきなり行くのも良かったんですけど、今回は開発スタッフの希望として、いきなりトゥルーエンドを見た場合と、一回ノーマルエンドを見てからトゥルーエンドに行く場合では全然考えが変わってくるはずなんですという主張がありまして。僕は当初、個人的には分かれることに反対だったんですが、それを聞いた時になるほどなと思ったんですよ。
いろんな物語の分岐点の中で、ゲームとしてのお約束で触れちゃいけないんじゃないかと思っている部分ってあるじゃないですか。(「閃の軌跡」シリーズでは)そこにスポットを当てたかったんです。(中略)今回のノーマルエンドとトゥルーエンドに分けるのも、(物語上では触れられない)なんらかのギミックがあり、そういうふうになっているというかたちを描きたかったというのが実はあるかもしれないですね。
なぜエンディングは単純に分岐させるのではなくノーマルエンドを挟んだのか、という質問です。『流れに関しても』と言っているので、前項の質問に引き続き意図がわからないので教えてくれと言っています。
ノーマルエンドを挟んだのはスタッフの主張があったからのようですが、どのように考えが変わってくるかについては明確な説明がありません。そこを教えてくれと言っているのに!
というわけでノーマルエンドを挟んだ意図については明かされていませんので、近藤Pの言動について考えます。
まず、近藤Pはノーマルエンドに対してトゥルーエンドと言っているので、2つ目のエンドが真のエンド(正史)と捉えてよさそうです。
次に、『分かれることに反対だった』と言っています。この分かれるっていう表現は妙に違和感があります。分ける分けないの話はしていません。そもそもエンディングが分岐することに反対で、トゥルーエンドのみでよかったと言っているように聞こえます。つまり、当初はトゥルーエンドしかなく、後からノーマルエンドを追加したのではないでしょうか。もしくは、ノーマルエンドの部分もエンディングという形ではなかったにしろ(例えば可能世界を示す演出として)本編に組み込まれていたとか。それならそう説明するような気もしますが…。
次の、『触れちゃいけない部分』というのが何を指すのかいまいちわかりませんが、本来キャラクター達が知覚できないはずの事柄、つまりメタ的な視点で見れる部分という意味でしょうか。そこにスポットを当てたかったという割りには全く伝わっていない気がします。次回作でいきなりプレイヤーに話しかけてくるキャラとか出てきちゃったらどうしよう。
最後に、近藤Pの『~かもしれない』という表現について。近藤Pは『~かもしれない』という表現をよく使います。この表現、ストーリー上の謎に言及されたときにはぐらかすために使っているパターンはよく見るのですが、今回の質問ではわざわざはぐらかす必要はないはずです。つまり、製作スタッフの意図を理解しきれていない(=共有できていない)証なのではないでしょうか。ただ、設計思想の共有は非常に困難であり、担当者以外は設計思想を理解していないというのは私の経験からしても普通です。が、やはりプロデューサーであり代表ですから。自信を持って答えてほしいところです。ノーマルエンドを挟むことを提案したスタッフがインタビューを受けていたらきっと熱い思想を伝えてくれたはずです。残念。
キャラクターを生き返らせたのはなんとなく
――ノーマルエンドとトゥールエンドって対比的なものだと思うんです。(中略)その分岐の幅として、キャラクターが生き返るっていう表現の部分に驚きました。
近藤氏:そこは結構悩みましたね。ユーザーさんもいろいろな意見はあると思いますし、社内でも生き返らせていいのかという反対意見はあったのですが、オズボーンやヴァリマール、それからアリアンロードの結末が決まった時に、去っていくものの存在というのはそちらが十分にやりきってるんじゃないかと。
ついでのようにクロウやミリアムが去っていくというのはなんとなく寂しい気がして、それであれば死者が蘇るという設定(※アリアンロードに代表する不死者など)とも折り合いをつけて、2人は見送る側にいてほしいというかたちになりました。(後略)
よく話題に挙がるクロウとミリアムについてです。
個人的には、 ノーマルエンドでひとつの可能性を描いてくれていますし、そういう物語なんだな、で済んでいるのでこれはこれでいいかなという気持ちです。
が、こういう答え方をされるとおいおいおいとなります。ユーザーの意見やオズボーン達の死がなぜ関係してくるのか、判断基準がそこでいいのかは疑問です。実際になんとなくで生き返らせたとしてももう少し言いようがあったのではないでしょうか。
オズボーンとオリヴァルトを対比させた描写は成功
――軌跡シリーズのファンにとって帝国編というのはずっと気になっていたところもあり、その中で「空の軌跡」からずっと描かれているものとして、オズボーンの存在と、それに対抗するオリヴァルト(オリビエ)の関係性があったと思います。「閃の軌跡IV」ではそこにひとつの結末が訪れましたが、二人の見せ方で意識した点はありましたか?
近藤氏:(前略)「空の軌跡」の時には名前しか出ていなかったものの、「空の軌跡 the 3rd」で衝撃的な登場をしてからは、「零・碧の軌跡」では彼の存在感がますます大きく描かれていきましたし、その延長線上で帝国編というかたちで満を持して登場します。
名前が出ただけでちょっと緊張しませんか、オズボーンって。そういった彼の存在感の描写って軌跡シリーズでしかできないと思うんです。あれだけの存在感を描けたっていうのは僕らとしてはやっぱり大きな手応えでしたよね。
そしてオリビエはその対比というか逆ですよね。彼が圧倒的な存在感であったり、強大さとかの象徴だとしたら、オリビエは自由であったり、連帯とか結束とかそういうものの象徴にシリーズを通してなってくれたのかなって。「空の軌跡」から具体的に登場していたので、オズボーンとは違って身近な、パーティ側の象徴でした。そういう意味で、この二人の関係は印象深くありますね。――軌跡シリーズではピンチに登場するみたいなケースは結構多いと思うんですけど、その中でもオリビエに関しては一段と登場が派手というか、すごくいい感じで良かったです。エンディングも含めて万感の思いみたいなものがありました。
近藤氏:そういう結末になるのかなというのは「空の軌跡」の頃から見せておきながら、やっとかよという(笑)。10年経ってますからね。
――そういうシーンの一つ一つを見ても、オズボーンとオリビエはやはりリィンたちとは違うところで印象的な2人だなと思いました。近藤氏:やはり一本のRPGとして中で見せるのと、15年続いてきたシリーズの中で時間を経てお見せできるのとではまたちょっと重みが違う部分があって、オリビエとオズボーンなんかはその代表格というふうにやっぱり思いますね。
オズボーンとオリヴァルトの見せ方についてです。
空、零、碧をプレイしていない私にはあまり語ることのできない領域ですが、私もオズボーンとオリビエの対比は感じることができました。
閃において、二人に因縁があることは節々で匂わせるものの、多くは語らなかったというのが想像を掻き立てるので逆に良かったのだと思います。例えば、私はジョジョは3部から入りましたが、ジョースター家とディオの因縁は感じられました。それと似たような感覚です。
個人的には、面白い物語というのは途中から読んでも(プレイしても)それはそれで結構楽しめると思うんです。
ただ、こういった対比表現は長く続いたシリーズものでしか表現できない、という風には考えないでほしいところです。
イシュメルガ=呪いではない
――それと細かいところになるのですが、リィンの鬼の力って結局はどこに紐付いたものになるのでしょうか。オズボーンの心臓が力の源にはなるのでしょうが、イシュメルガの力というわけではないんですよね。
近藤氏:紐解いていけばおそらくわかるのですが、力そのものはイシュメルガではなくて帝国の呪いに起因するものです。イシュメルガは黒の騎神の思考システムで、彼はその呪いを利用しただけですね。
そのあたりをはっきりと説明する場所がなかったんです。今回は伏線を張ってきた中のことでも本編から外れるものがたくさんあるので、そういうものはクエストの方に回されていて、そういうことをやっている内にクエストの枠も無くなってしまったという。
――それだけクエストで回収する要素も本当に多かったなと思いますし、軌跡シリーズ全体でも気になってた人のその後だったり、関係性だったりとか、すごい細かくフォローされてて一つの集大成でしたね。近藤氏:答え合わせ回ですよね。答え合わせできないで終わっちゃうわけにはいかないから。
鬼の力って結局何?ここでこの質問が出るってすごくないですか。4作続いたゲームの主人公の力の正体が本編で明確に語られていないってことですよ。
『はっきりと説明する場所がなかった』とか『クエストの枠がなくなっちゃった』とか言った直後に『答え合わせできないで終わっちゃうわけにはいかないから』と言えちゃうのはもはやあっぱれです。
それはさておき鬼の力とイシュメルガって関係ないんですね。イシュメルガ=呪いと思っていたので勘違いしてました。折角なので復習してみましょう。
まず、女神の至宝であるアークルージュとロストゼウムが相打ちした際に、巨イナル一が生まれました。巨イナル一は『力』と『呪い』で構成されています。そして、それぞれの至宝の眷属である魔女と地精は、巨イナル一を七体の騎神に分割しその『力』を封じましたが、『呪い』は封じることができませんでした。七体の騎神の一つであるイシュメルガは呪いの力を利用して自身が巨イナル一になることを企みます。
この最初の巨イナル一とイシュメルガは全く別の存在なんですね。ラスボスの巨イナル一は、イシュメルガの意識を持って再錬成された巨イナル一であると。
で、呪いはイシュメルガの力ではないと。なるほど。
次回作も一つの国が舞台となりそう
――(前略)今後も一つの国を舞台として物語が展開していくような感じでしょうか?
近藤氏:(前略)順番は今の時点でお答えはできないですけど、共和国は間違いなくその中に入っています。(後略)
――帝国の印象が強すぎたからか意識はしてなかったんですが、(ゼムリア大陸内で)そのほかの地域を考えると、まだ結構あるんだなと。近藤氏:帝国ほど大きくはないものの、重要性の高い場所がいくつかあるはずなんですよ。先ほども言った通り、今回新たに提示された謎については、お約束で触れないようなところに踏み込んでいます。例えば、ゼムリア大陸が乗っている惑星が球体なのかということに触れるところがあったと思うんですけど、今後は多分そういうところに切り込んでいったりとか、焦点を当てていくことになります。(後略)
次はどの国が舞台ですか?とは訊いていません。複数の国を股に掛けた物語は考えていませんか?という質問だと思います。
近藤Pは順番と言っているので、これまでと同様にひとつの舞台で物語が進行するのかもしれません。これ、そうすることに何か意図があるのでしょうか?この部分も手段が目的になっている気がしてなりません。
そして、触れないようなところに踏み込んでいくことになると言っています。そもそもそういった新たに提示された謎については前編のインタビューでも答えるタイミングがあったのにスルーしたのは何だったのかという気持ちはありますが、それはとりあえず置いておきましょう。
この質問の流れでその話をする、ということは、舞台自体に仕掛けがあるということでしょう。惑星の形が物語にどう影響するのか興味深いのは山々なのですが、軌跡世界では高位次元とか精霊の道とかよくわからない空間が存在しているので、もはや実世界の形がどうであろうと「あ、そうなんですね」となってしまいそうでこわいです。なんにしても設定が先走って表現すべき目的を見失わないことを祈ります。
軌跡最新作は3作検討中?
――ちなみに、次のタイトルを展開されるとしたら結構先になってきますか?
近藤氏:そこについては少し悩んでいます。「閃の軌跡」シリーズが終わって、僕らの課題として当然続きをどうするかっていうことと同時に、「閃の軌跡」シリーズに全く触れたことがないお客さんに対しても、次のシリーズは遡及性※のあるものにしたいと思っています。また、「閃の軌跡」は4作で終わったんですけど、もう少しやりたかったこともあるので、そういう部分についてもなにかできないかなという両面作戦でいこうかなと。
どちらかに力を入れすぎて遅くなるというのはよくないことだと思うので並行してやっていきたいですね。そして、今年のシリーズ15周年の枠組みとして、なにかもう一タイトルぐらいお見せできればというのは考えています。
――私自身もそうですが、知人とも次はいつ出るんだろうという話になるので楽しみにしています。
近藤氏:それは本当にありがたいことです。なるべく期間を空けずにシリーズを手にとっていただける工夫は、これまで以上にしていきたいと思っています。
※たぶん訴求性だと思います。
①新シリーズとして1本、②閃の軌跡でやりたかったことで1本、③シリーズ15周年として1本を検討しているということでしょうか。イースⅨも含めれば4作並行させるということでしょうか。
新製品の開発とスピード感のあるリリースはどのメーカーも常に心掛けていることであり、この回答はファンに応える姿勢を見せたともとれます。ですが、『一つひとつのクオリティが下がるのでは?』と不安視するファンの数も少なくないはずです。巧遅は拙速に如かずとは言いますし、スピード感は評判の悪さに反して売り上げに直結したりします。商売である以上その部分に口出ししても仕方ないのかもしれませんが、分割商法や水増し展開という名の工夫でないことを祈ります。
今後は自己満足ではなくクオリティアップさせる
――「閃の軌跡」シリーズ自体がグラフィックやハードの面で幅広くチャレンジすることの多いシリーズだったと思うんですけど、全体を通じての総括をいただけますでしょうか。
近藤氏:いつも終わった後にはちょっとやりすぎたというのがあります。それは「閃の軌跡」シリーズ4作を通してそうですし、「零・碧の軌跡」はもともと二本に分かれる予定じゃなかったですし、「空の軌跡」も三本に分かれる予定ではなかった。ただ、期待してくださっているお客さんもいますし、ファルコムにとってはそれだけのボリュームに挑むこと自体がチャレンジでもあります。
(中略)今後はもっとクオリティを上げながら、単純に自己満足でやるのではなく、新しいお客さんを巻き込んでいければと思います。
――ありがとうございました。
最後に総括ですが、ここではグラフィックとハードの面でのチャレンジがあって、という前置きをしています。
閃Ⅰ、Ⅱでは初のPS3とvitaのマルチ展開があり、その結果として3Dモデルの酷評やロード地獄や処理落ち問題などがありました。Ⅲ、ⅣではPS4にハードが移り、モデルは一新されモーションなどに課題があるもののグラフィックを評価する声も多く挙がり、かつロード面やシステム面のユーザビリティも確実に向上しました。
といったような評価されるべきポイントについてもコメントが欲しかったのだと思うのですが、特に言及はありません。
またしても『やりすぎた』と言っていますが、取捨選択が出来ていない反省点とは捉えてはいないのでしょう。ここでのボリュームはこれまでの作業量の限界を超える、という意味でしょうが、それはきっと本来の目的ではないはずです。
また、やはり新規顧客の獲得はあまり考えていなかったようです。これは率直に不思議です。常に考えることの気がしますが…。逆に言えば従来のファンを大事にしているということでしょう。
『自己満足でやるのではなく』と言っているのは思うところがあるということでしょうか。クオリティアップも併せて期待したいところです。
最後に
というわけでインタビューレビュー後編は以上です。
近藤Pのインタビューを真剣に読んだのはこれが初めてですが、非常に興味深い内容でした。まずはすばらしい質問内容を投げかけてくれたインタビュアーさんとGamer編集部さんに感謝です。
インタビューを通して感じたことは、近藤Pの発言は、質問に対しての答えになっていないことが多く、読み取るのに苦労しました。また、砕けた表現が多いというかぶっちゃけすぎであり、スタッフの想いを代表してインタビューに臨んでいるにしては軽薄で、その言動の重みを理解していないようにも感じます。
閃の軌跡のコンセプトっぽいものはいくつか知ることが出来ましたが、それを実現するための手段と判断基準が洗練されているとはとても思えません。
特に手段についてです。インタビューの中で何度か『多様性』という言葉が出てきており、閃の軌跡におけるコンセプトに干渉するキーワードになっていたのだと思います。『プレイヤーに選択させる』というのは、他のエンターテイメントでは真似できないゲームの最も優れた点であり、それを活かさない手はないでしょう。しかし、多様性という名のもとに、物語に影響する部分にまでユーザーの意見を反映をさせた結果、軸がブレてしまっているように見えます。多様性を持たせるというのはあくまで手段であり、目的ではありません。ストーリーRPGであるならば、ストーリーを面白くさせることを目的とした手段の検討をしてほしいところです。
とか何とか言いつつ今後に期待です。
3/24のイベントではイースⅨと軌跡関連について情報が出そうなので楽しみです。